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芝田文乃 個展

ittari9 「いったりきたり日記/2007年版」
SHIBATA AYANO PHOTO EXHIBITION "TOKYO-KRAKOW,COME AND GO" vol.9
2008年11月1日(土)-11月9日(日) ガレリアQ・東京

東京でもクラクフでも、どこにいても同じようなものに目がいく。
老人、子ども、小動物、工事現場、車窓風景……。乳母車を押す母親、荷物をかかえる男、カートにすがりながら歩む老婆。
人はつねに何かをA地点からB地点へ運んでいる。
何も持っていない人でもやはり自分の体を運んでいるのだ。
「いったりきたり」は「右往左往」と言い換えてもよいかもしれない。
「いったりきたり」の英訳「come and go」は、「この世に生まれ、あの世に往く」ことでもある。
1年間に撮影したモノクロスナップの中から、被写体や撮影場所に関係なく約30点を選び、時系列で並べる「いったりきたり」シリーズの9回目。モノクロ大四つ31点を展示。
会場内のBGMはミクロマクロの「Dream Vision」(MHFC-001)

ika 「いったりきたり日記/2006年版」
SHIBATA AYANO PHOTO EXHIBITION "TOKYO-KRAKOW,COME AND GO" vol.8
2007年10月29日(月)-11月4日(日) ガレリアQ・東京

1年間に撮影したモノクロスナップの中から、被写体や撮影場所に関係なく約30点を選び、時系列で並べる「いったりきたり」シリーズの8回目。今回は写真家の居住地としての東京、およびポーランドのクラクフのほか、ウクライナのリヴィウの日常風景を素材に驚きと発見を定着する。DMに使用した右のイカの写真は葛西臨海水族園にて撮影。モノクロ大四つ32点を展示。
会場内のBGMはポーランドとウクライナで録音してきた鳥の声や電車の音など。

live6 「LIVE 6」
2007年5月12日(土)-5月27日(日) なってるハウス 地図はこちら

ここ1〜2年間におもになってるハウスで撮影したライヴ写真を並べた。モノクロ半切、32点。ボグダン・イラストTシャツ展示即売を同時開催。シバタの要望によりオープニングに坂本弘道(cello,electronics) SOLO。会期中に、プチだおん/多田葉子(sax, b-cl)関島岳郎(tuba, recorder)、中尾勘二(sax, kl)と、厳格三重奏/加藤崇之(g.)不破大輔(b)大沼志朗(ds.)のみなさんに出演していただいた。出演者リストはこちら

pix 「いったりきたり日記/2005年版」
SHIBATA AYANO PHOTO EXHIBITION "TOKYO-KRAKOW,COME AND GO" vol.7
2006年11月29日(水)-12月5日(火) ガレリアQ・東京

東京の西と東をいったりきたり、東京とクラクフをいったりきたりする振り子が見た7年目の景色。右の写真は「竜巻?」とよく訊かれたが、じつは真夜中の近所の火事。
おもに東京とクラクフで撮ったモノクロ大四つ32点を展示。
会場内のBGMはポーランドとウクライナで録音してきた鳥の声や電車の音など。

田上真知子「100万円パフォーマンス」
pix
「@out-lounge」
2006年11月1日(水)-11月20日(月) アウトラウンジ・東京

アウトラウンジの閉館イベントの一環として、これまでにアウトラウンジで開催されたパフォーマンス15作品の記録写真を階段の壁に展示した。各パフォーマンス・アーティストに作品のコンセプトを書いてもらい、写真に添えた。モノクロ四切り43点。

「LIVE 5」
2006年9月3日(日)-9月30日(土) なってるハウス 地図はこちら

広沢哲さんのなってるハウス店長就任5周年記念ということで、5年間に撮りためたなってるハウス出演ミュージシャンたちのライヴ写真を並べた。モノクロ半切、約50点。

pix 「いったりきたり日記/2004年版」
SHIBATA AYANO PHOTO EXHIBITION "TOKYO-KRAKOW,COME AND GO" vol.6
2005年12月3日(土)-12月10日(土) ガレリアQ・東京

おもに東京とクラクフで撮ったモノクロ大四つ30点を展示。
会場内のBGMはOKIDOKI「Don't walk on the cat side」(BKM-002)
12月8日(木)に「写真と音楽の夕べ」と題して、会場内で坂本弘道の生演奏とともにスライドを上映した。スライドは前回に引き続き、昨年秋から今年12月初めに電車やバスの窓から撮ったカラーポジ400点余り。音の材料として、芝田がクラクフと東京で録音した、鳥や蝉の声、電車の音などをあらかじめ坂本さんに渡しておき、演奏に使ってもらった。

pix 「Byl sobie Szajbus......ku pamieci Zbyszka Fijalkowskiego
 シャイブスという人がいた…追悼ズビシェク・フィヤウコフスキ」

2005年6月30日(木)-7月7日(木) Piwnica pod Baranami・クラクフ

2月に64歳で亡くなった友人ズビシェク・フィヤウコフスキの追悼写真展を、彼がよく出入りしていたピヴニツァ・ポド・バラナーミで開いた。
11年間にわたって撮影したズビシェクのポートレート、モノクロ半切とカラー半切(うち1点のみワイド四切)計21点。
ポーランド語のタイトルはボグダンが考えてくれた。「シャイブスはいつも彼らしかった、彼なりのやり方で生きていた」という意味。
ズビシェクのお母さん、アンナ・フィヤウコフスカさんに見てもらうことができてよかった。
クラクフの美術情報サイト「sztukpuk」にオープニングの様子が写真入りで紹介された。こちらをどうぞ。
また7月15日付け「ガゼタ・クラコフスカ」紙に、この写真展とズビシェクに関する記事が大きく掲載された。

pix 「LIVE 4」
2005年4月9日(土)-5月9日(月) なってるハウス 地図はこちら

「LIVE 3」以降、ほぼ1年間に撮りためたライヴ写真を並べた。モノクロ半切、46点。クラクフでの撮影が3枚、その他は東京都内で撮影。
シバタの要望により会期中に加藤崇之(g.)+坂本弘道(cello,electronics) 初DUOが実現。その他、ケロフク/さがゆき(vo) 蜂谷真紀(vo)、ホタナカ/中尾勘二(sax, cl,他) 堀田博喜(sax) +スペシャル・ゲスト岸川晃cl. 他、などの異色ユニットにもご出演いただいた。フィラデルフィアから来日の牧原利弘(per) さん2daysのうち、2日目の牧原利弘(per) 蜂谷真紀(vo) 永塚博之(b)のトリオが実現したのもうれしかった。千野秀一さんの企画で千野(kb)+竹田賢一(大正琴、歌) 金子寿徳(eg,vo)という珍しいトリオや、河合拓始さんの企画で河合(p)+梅津和時 (reeds) 初DUOもあって、文字通りの盛りだくさん。出演者リストはこちら English Polski

pix 「いったりきたり日記/2003年版」
2004年12月6日(月)-12月12日(日) ガレリアQ・東京

おもに東京とクラクフで撮ったモノクロ大四つ28点を展示。
会場内のBGMは船戸博史「LOW FISH」(ON-54)
12月10日(金)に「写真と音楽の夕べ」と題して、会場内で坂本弘道の生演奏とともにスライドを上映した。スライドは今年1年間に電車の窓から撮ったカラーポジ540点余りを用意したが、実際に上映されたのは466点。
この展覧会は、2003年8月に亡くなったボグダンの祖母、ダトゥーラことゾフィア・ザヴァツカZofia Zawadzkaに捧げられた。

pix 「LIVE 3」
2004年4月25日(日)-5月17日(月) なってるハウス

「LIVE 2」以降、ほぼ1年間に撮りためたライヴ写真を並べた。モノクロ半切、45点。クラクフでの撮影が4枚、その他は東京都内とその近郊で撮影。
シバタの要望により会期中に横川理彦+室舘彩DUO、太田惠資坂本弘道DUOが実現。それ以外にもお気に入りのミュージシャン選り取り見どりで出演していただいた何とも贅沢な夢の企画。遠くからは、ふちがみとふなと(from 京都)、千野秀一さんの御尽力でパク・チャンス(from 韓国)、ラッキーな偶然でBilly Bang(from NY)という超豪華メンバー。メールだけの知り合いだったケルン在住ドイツ人がいきなりお客として現れたのにもびっくり。出演者リストはこちら English information

pix 「いったりきたり日記/2002年版」
2003年11月1日(土)-11月9日(日) ガレリアQ・東京

東京、クラクフの他、ベルリンとケルンで撮影した4点を加えた、モノクロ大四つ30点。
会場内のBGMはSTRADAの「山道」(ON-8)など。
この展覧会は、2002年7月に交通事故で亡くなった十年来の知り合い、Danuta Krukowskaおばちゃんに捧げられた。

「Performance-Fotografia」
2003年7月18日(金)-8月15日(金) Otwarta Pracownia・クラクフ

日本人アーティストのパフォーマンスの記録写真。モノクロ六つ切30点+モノクロ半切20点+ネガカラーからのポストカードサイズのプリント54点。演者と日付と場所は書いて掲示したが、パフォーマンス内容をクレジットしなかったので、観客にはあまりピンと来なかったようだ。

「LIVE 2」
2003年4月19日(土)-5月10日(土) なってるハウス

なってるハウス店長の希望で、なってるハウスで行われたライヴの写真ばかり集めた。
モノクロ半切、約40点。
シバタの希望により会期中に坂本弘道+関島岳郎DUOが実現。

pix 「Performance-Fotografie」
2002年11月8日(金)-11月30日(土)  A PROPOS・ルツェルン

国内外アーティストのパフォーマンスの記録写真。モノクロ四つ切12点。ドイツのケルンでグループ展に出品したものをドイツ側企画者がスイスのルツェルンに送ってくれた。会場のA PROPOSはパフォーマンス・アートの資料アーカイヴ。展示の指示は、東京から図面をファックス送付。

pix 「続々・いったりきたり日記 Tokyo-Cracow, come and go」
2002年7月26日(金)-8月7日(水) Otwarta Pracownia・クラクフ
2002年6月6日(木)-6月12日(水) ガレリアQ・東京

ガレリアQでは、モノクロ大四つ30点+モノクロキャビネご近所定点観測写真35点とクラクフで撮ったネガカラーからのプリント(ポストカードサイズ)23点を展示。
会場内のBGMは大沼志朗トリオ1st「Danny」(B23F)
6月8日(土)に会場内で坂本弘道ライヴ+スライド上映を開催した。スライドは、ここ5年間ほどの作品150点の六つ切プリントを複写して作成。
Otwarta Pracowniaではモノクロ大四つ38点を展示した。
こちらのオープニングでもスライドを上映した。

「LIVE!」
2002年3月4日(月)-3月22日(金) なってるハウス・東京

ジャズのライヴハウスの壁をお借りして、これまでに撮りためたミュージシャンの 写真を並べた。モノクロ半切40点。うち額装10点、それ以外は壁にピン貼り。シバタのリクエストにより会期中に坂本弘道+ライオン・メリィDUOが実現。

pix 「続・いったりきたり日記」
2001年6月19日(火)-6月30日(土) ギャラリーf分の1・東京

モノクロ大四つ25点に加えて、入り口がガラス張りなので、ポスター大(約150×100cm)のデジタルプリントを2点作成して外から見えるように貼った。また、ネガカラーからのポストカードサイズのプリントをカラーコピーしたもの24点を、アクセントとして柱のように並べた。
6月23日(土)に会場内で坂本弘道ライヴを開催した。

pix 「いったりきたり日記」
2000年11月26日(日)-12月2日(土) ガレリアQ・東京

1年間に撮った写真から30点を選び、撮影場所に関係なく時系列で並べた「いったりきたり」シリーズの1回目。モノクロ大四つ30点。このシリーズは現在も継続中。
会場内のBGMは坂本弘道「零式」(ON-33)
12月1日(金)に会場内で坂本弘道ライヴを開催した。

pix 「波蘭国ものがたり」
2000年3月13日(月)-3月26日(日)  ミカサギャラリー・静岡

ポーランドで撮影したものから、味のある静物を選び、それぞれの写真に短いテキストを添えた。モノクロ半切14点。

pix 「TRANS TRANSYLVANIA トランシルヴァニア横断」
1999年3月7日(日)-3月28日(日) ミカサギャラリー・静岡
1999年4月1日(木)-4月7日(水) ガレリアQ・東京

ハンガリーのブダペストから、ルーマニアはトランシルヴァニアの聖アン湖畔まで、知人の車に同乗して十数時間。走っても走っても、ほとんど荷馬車と羊の群れにしか出くわさない。その往復、おもに車の窓越しに撮影した写真。モノクロ半切35点。

pix 「東京日記2」
1999年9月18日(土)-10月8日(金) MAS GALLERY・オドジャツィ・ユーゴスラヴィア
1999年7月23日(金)-8月3日(火) Otwarta Pracownia・クラクフ
1999年6月20日(日)-7月5日(月) Piwnica u Krzysztofa・クラクフ
1999年3月15日(月)-3月27日(土) Mole・東京

モノクロ大四つ32点。
セルビア人アーティストNenad Bogdanovic氏のお誘いで、5月にユーゴスラヴィアのオドジャツィで個展をすることになり、Moleで展示したものとは別にプリントを作り、3月中に郵送しておいた。5月にはユーゴに行くつもりでいたが、NATOによる空爆が始まりやむなく断念。ユーゴでは文化関係の催しがすべてキャンセルになったそうなので、個展はもう無理とあきらめ、夏はいつものようにポーランドに行く。
知人の娘が働くパブ「Piwnica u Krzysztofa」の店長が、店で何かアーティスティックなことをしたいと言うので個展をすることになる。が、もろもろのトラブルが発生し、神経をすり減らされた。写真のことがわかりもしないで、ただ人寄せに展示してくれというような場所では、今後は絶対にやらないぞと心に誓う。
帰国後、私の個展のリーフレット、ポスター、新聞記事のコピーなどがユーゴから届いた。助成金がおりたので、私抜きで私の個展を開催してくれたのだった。

「Pamietnik krakowski クラクフ日記」
1998年7月23日(木)-8月16日(日) Otwarta Pracownia・クラクフ

「Krakusi」と「クラクフ日記」の写真に未発表作品を加えて再構成した。
昨年使わせてもらったGaleria ZPAFは運営状態が変わって使えなくなったそうで、ZPAFのボベク氏が自主ギャラリー「Otwarta Pracownia」を紹介してくれた。ここは数人のアーティストが自主運営している非営利ギャラリー。おもに絵画、インスタレーションを展示しているが、世話人のJerzy Hanusek氏に私の写真を見せたところOKしてくれた。フレームは美術館「Bunkier Sztuki」からお借りした。

「DICOGRAFIA」
1998年3月1日(日)-3月31日(火) ミカサギャラリー・静岡

ポーランドのクラクフで1997年6月に開催されたイタリア現代演劇祭「DICO CRACOVIA '97」の舞台裏、準備段階を定着する試みがDICOGRAFIA である。このフェスティバルのディレクター、イタリア人演出家ジョバンニ・パンピリオーネ氏に依頼されて撮影したもの。モノクロ20点。小冊子「DICOGRAFIA」刊行。


pix 「東京日記」
1998年1月19日(月)-1月31日(土) Mole・東京
1997年6月6日(金)-7月3日(木) Galeria ZPAF・クラクフ

クラクフで個展を開きたくて場所を探していたら、知人のアーティストがZPAFのギャラリーを紹介してくれた。ギャラリーの世話人Ryszard Bobek氏がすてきなポスターを作ってくれ、街中に貼りだしてくれた。オープニングには女優のBeata Fudalejさんや演出家のGiovanni Pampiglione氏も見えた。
モノクロ大四つ25点。

pix 「クラクフ日記」
1997年2月17日(月)-3月1日(土) Mole・東京

モノクロ四つ切25点。ハガキの写真は、クラクフ在住の詩人ヴィスワヴァ・シンボルスカのノーベル文学賞受賞が発表された当日、インタビューを受けるシンボルスカ氏が映っているテレビ。

pix 「Krakusi」
1995年11月27日(月)-12月2日(土) Mole・東京

モノクロ四つ切、約25点。クラクフの人々を撮ったもの。ハガキの写真に写っているのは、クラクフの名物男、通称シャイブスこと、ズビシェク・フィヤウコフスキ。若い頃のバイク事故とアルコールの影響で、変わった言動が目立つが、クラクフのジャズやカバレットを現場で見続けてきた生き証人として貴重な存在。

「Dzieci i koty 子どもたち・猫たち」
1995年9月15日-9月26日 Stara Galeria・ワルシャワ

本当は隣のMala Galeria(CSWの写真部門ギャラリー)でやりたかったのだが、そこのキュレーターに作品を見せたら、このZPAF(ポーランド芸術写真協会)のギャラリーを紹介された。オープニングにはスノッブな感じの人が30人ほど来場。 TVP(ポーランドのNHKのような局)と地元CATVの取材も受けた。 CATVのカメラマンのお兄さんがPentax ME superのユーザーだった。

pix 「うつつの途中」
1993年10月25日(月)-11月6日(土) Mole・東京

MoleがまだFROGだった頃からときどき通っていたので、すでに顔見知りだったオーナーに、突然「個展やらない?」と言われ、やることになった。国内外あちこちで撮った路上スナップ。小冊子「うつつの途中」を同時刊行。

pix 「ポーランドの夏休み」
1992年11月2日(月)-11月14日(土) ギャラリー愚怜・東京

この年の夏、初めてポーランドに行き、約40日間滞在。6月時点でギャラリー愚怜のオーナーに、帰ってきたらポーランドの写真展をやりましょうと言われ、そういうことになってしまったので、まだ右も左もわからない土地でやみくもにシャッターを押す。モノクロ六つ切20点。おもに人物写真。会期中、3日(祝)と7日(土)にスライド上映会(カラーリバーサルで撮ってきたもの)を開いた。小冊子「ポーランドの夏休み」を同時刊行。

pix 「猫は猫」
1992年6月29日(月)-7月11日(土) ギャラリー愚怜・東京

シバタの初個展。ちょうど猫が流行っていたので、猫写真集を作って売ろう! ついでに展覧会もしてみよう、という安易な考えで企画。会場となった本郷東大赤門前のギャラリー愚怜には、この当時、猫柄ののれんが掛かっていた。モノクロ六つ切18点。タイトルどおり猫ばかり。小冊子「猫は猫」を同時刊行。


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