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このごろのシバタ
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マロニエ盆栽 2004.4.14(水)

 今年もマロニエの若葉が芽吹いた。芽吹いたと思ったらぐんぐん伸びて、あっという間にわさわさと葉を繁らせている。この生命力には毎年驚嘆する。

 うちのマロニエは鉢植えで高さ40センチほど。去年はひと夏で背丈がぐーんと20センチばかり伸びた。このままいけば数年で立派な木になってしまいそうなので、今年は冬の間にてっぺんの芽を植木鋏でちょきんと切っておいた。葉っぱのない冬は、植木鉢に棒っ切れが1本立っているだけである。

 そしたらその両脇の、ゴキブリみたいな色と形と光沢をした芽がむくむくふくらみ、数日前にそのゴキブリの堅い外羽が少し開いて、中からオランウータンみたいな赤茶色のもしゃもしゃした毛に包まれた淡い緑色の若葉がのぞいた。赤ん坊の手のような葉が「うらめしやー」の格好で出てきたかと思うと、赤毛の膜を振り切って見る見るうちに大きくなり、手をしだいに水平にぴんと伸ばし、2、3日のうちにもう濃い緑の大人の手になっている。ちなみに芽が開くにつれて見えてくる内羽は、先端がちょっと褐色でそれ以外は薄緑色、外羽よりも柔らかい。壁際に置いてあるのだが、葉が伸びて壁にぶつかるので、水やりのたびに鉢を少しずつ壁から離している。

 このマロニエの故郷はフランスのリヨン。写真家の倉田精二さんがリヨンで拾ってきた実をご自分で鉢に植えて育てていたものだ。倉田さんはリヨンだけでなくほかの土地でもマロニエの実を拾ってきて育てていたらしい。その苗の1つを数年前になぜか私が譲り受けた。それがたまたまリヨン産だったのだ。

 フランスでもポーランドでもマロニエは公園や街路樹に多い。葉の形に特徴があり覚えやすく親しみやすい木だ。クラクフでは古い建物のファサードに、このマロニエの葉をモチーフにした浮き彫りを見かけることがある。

 いま訳しているスタニスワフ・レムの自伝的小説「高い城」には、レムが幼少時に寝ていた部屋の天井にマロニエの浮き彫りがあったことや、子どもの頃実際にマロニエの実を夢中になって集めた様子などがみずみずしく描かれている。レムの故郷ルヴフ(現ウクライナ領リヴォフ)でのことだ。

 クラクフの街のマロニエはここ数年元気がない。葉に褐色の斑点が散らばっている。これは病気のせいだったか害虫のせいだったか、テレビ・クラクフで植物学者の先生が解説しているのを見たのだけれど忘れてしまった。



高校野球の応援曲 2004.4.1(木)

 高校野球の応援のブラスバンドが演奏する曲は、なぜアニメ主題歌が多いのだろう?

 うちで仕事をしているときは時計がわりにNHKラジオをつけっぱなしにしているだけなので、試合内容は耳を素通りしているが、音楽はどうしても耳に入ってくる。で、どの試合でも同じような曲しか聞こえてこないのがつまらない。判で押したように「ルパン3世」、「宇宙戦艦ヤマト」、「海のトリトン」、「鉄腕アトム」、「ひみつのアッコちゃん」のエンディングテーマ、ときどきピンクレディーの「サウスポー」、YMOの「ライディーン」といったところだ。

 なぜみんな20年も30年も前の曲なのか?

 では20-30年前にはどんな曲が演奏されていたのだろう?

 高校野球ファンではないので記憶が定かではないが、昔はいわゆる応援歌というものを太鼓の音頭で唄っていたのではなかろうか? 演奏に音楽センスを要求されるような難しい曲はあまりなかったような気がする。

 いま応援の定番になっているアニメ主題歌は確かに名曲ぞろいだ。全国の高校のブラスバンドが演奏しているのだから、ブラスアレンジの楽譜があるのだろう(ブラスバンドに所属したことがないので本当のところはわかりませんが)。そうでなければ、自分が生まれる前に流行った曲を高校生たちがわざわざ編曲して演奏したりはしないと思う。

 しかしそれほど遡らずに、もっと最近の曲で何かいいものがないのだろうか?

 ここ20年ほどテレビを見ていないので、巷で何が流行っているのかよくわからないが、いまはヒット曲といってもごく限られた人々だけしか知らず、30年前のようにだれもが知っている、みんなが口ずさめる曲は少ないようだ。それはそれでいい。いつでもどこでも同じ曲を何遍も強制的に聞かせられる世界は苦痛だ。だったら高校の応援団も、もっとオリジナリティを追求してもいいんじゃないかと思うのだが。



即興演奏と翻訳 2004.3.10(水)

 フリージャズや即興演奏が好きでよく聴きにいく。演奏しているミュージシャンを撮影するのも好きだ。次の瞬間どんな音がどんなリズムがどんな動きが生まれるのかわからない、一瞬も気の抜けないその緊張感がいい。絵画作品は描きあがった結果を見るわけだが、即興演奏はまさにいま創作している過程を、その作者と同じ時空間で体験できる貴重な機会だ。

 路上スナップ撮影は即興演奏に似ている。一瞬後にどうなるか自分でもわからないところや、周囲の空気に感応して自分が動いていくところ、そのときの体調によって大きく変わるところなどが。

 私が聴きにいくライヴでは、ギターの弦を台所用品でたたいたり、チェロを電動工具でいじめたり、グランドピアノを両手で動かそうとしたり、シャツをまくりあげてお腹をピシャピシャたたいたり、等々いろいろなことをする人たちがいる。そうやって自分のなかにある何かを外に吐き出そうとする様々な創意工夫や試行錯誤やエネルギーの噴出が私には好ましく思われる。方法は違うが、表現したいという欲求自体は私にもあるから、そうして何とか表現しようとする努力には共感を覚える。

 それと方法は似ているのだが、これまであまり共感を覚えなかったものにいわゆる現代音楽がある。例えば、グランドピアノの弦を直接指ではじいたり、擦ったり、叩いたり、ここでピアノの蓋をバタンと閉める、などという演奏方法があらかじめ作曲者によって楽譜に記されていて、演奏者はそのとおりに演奏するのだ。もちろん曲の解釈云々はあるのだろうが、決められたことを決められた通りにやる演奏のどこが演奏者にとっておもしろいのだろう、と思っていた。

 それが、作家と翻訳者の関係を考えてみたら、ちょっとわかった気になった。作家は作曲者兼演奏者であり、翻訳者は作家の書いた楽譜を元に演奏する人である。

 よく、翻訳をやっているのなら文章を書くのも当然得意でしょう、と考えている人がいるが、小説の翻訳と小説を書くことはまったく別の作業である。外国語の文章を日本語に置き換えることは、私にとって「書くこと」よりもむしろはるかに「読むこと」に近い。文章はそれを読む人の数だけ解釈があり、翻訳者は自分の解釈を数ある解釈のうちの一例として提示するだけだ。私にとってポーランド語から日本語への翻訳がおもしろいのは、言葉のパズルみたいだからであって、ポーランド文学を日本に広く紹介しようなんぞという大それた意図もなければ、柴田元幸氏のように作家の声が聞こえてくるなどという珍しい体験もない。そもそも文章を書く訓練をあまりしてこなかったので、翻訳に取り組むようになってからようやく日本語に対して意識的にならざるを得なくなった。それはそれで大変奥深く楽しい世界なのである。



富士山 2004.2.21(土)

 西武池袋線の車窓から富士山が見えることが年に数回ある。たいていはよく晴れて空気の澄んだ冬の日だ。見えるといってもほんのわずかな間で、練馬高野台のあたりの線路が高架になって視界が開ける短い区間のみ、時間にして数十秒か。すぐに線路がカーブし、高いビルが増えて見えなくなってしまう。1月頃はちょうど富士山のそばに日が沈むので、夕暮れどきは逆光になる。

 ボグダンの来日は1回めも2回めも夏だったから、西武池袋線から富士山は見えなかった。小田原に行ったときも、南足柄に行ったときも、芦ノ湖までわざわざドライブに行ったときも、あいにく天候が悪くて見られなかった。晴れていればこの真正面に大きく見えるのに…と残念でならなかった。

 富士山を見たいと日本に来るまえからずっと言っていたので、私は富士山が写っている絵はがきや、北斎の「富嶽三十六景」、広重の「東海道五十三次」の絵はがきを選び、ことあるごとに送った。そのせいかボグダンは広重の絵が好きだ。ちなみにクラクフの日本美術技術センター、通称「マンガ」には、日本美術蒐集家フェリクス・ヤシェンスキのコレクションが収蔵されており、とりわけ浮世絵は保存状態も良く名品揃いである。マンガというのはヤシェンスキの渾名で、「北斎漫画」から採られたという。

 うまくすれば飛行機から見えるだろうと思ったが、ボグダンは飛行機に乗るのが怖くて、出発の2、3日前から友人たちと送別の宴をひらいてはしこたま呑んでいたため、機内では窓の外をゆっくり眺める余裕もなかった。それでも3度めの来日の際はちょっと慣れたのか、それとも機内が全面禁煙になったせいで正気に戻らざるを得なかったのか、上空から日本を眺めてみたらしい。2003年3月はじめのことである。成田空港の到着ゲートから出てくるなり、煙草を吸いに外の喫煙コーナーへまっしぐら。ようやく人心地ついて、帰宅途上の電車内、そうそう、上から富士山が見えたよ、と言ったのだ。その日だったか翌日だったか、西武池袋線からも富士山が見えた。ぎりぎりセーフという感じだった。それ以降は春がすみというのか、晴れても靄がかかっていて見えなかった。



さごしフィーレ 2004.2.15(日)

 先日、新宿3丁目の路上にて、白い段ボールの小さめの空き箱を発見。「さごしフィーレ」と書いてある。とりあえず写真を撮る。文字は活字ではなく、日本語を知らない人が見よう見まねで書いたようなヨレヨレモタモタした字。ポルトガル産の冷凍の海産物らしい。フィーレは切り身のことだと思うが、「さごし」の意味がわからなかった。2、3日後に大きな辞書で調べたところ、「さごし」は「鰆の幼魚」であることが判明。ひとつ物知りになった。頭のつかえが取れる。

 2、3日前、ポーランド語の文章を訳していて「twarda waluta」という語句にでくわす。直訳すれば「堅いお金」だが、文脈からして硬貨のことではない。大きな辞書をひいてみる。「西側諸国から発行されている外貨」とある。文章は民主化以前のポーランドの話だから、なるほど、東側のお金は国外で通用しないヤワな通貨、西側のお金はしっかりしたカタい通貨だったのだ。納得する。

 今日「朝日新聞の用語の手引」を見ていたら、「手をこまねいて見ている」は×で、正しくは「手をこまぬいて見ている」となっている。いままで「こまねいて」が正しいと思っていたが違うらしい。大きな辞書をひいてみると、「こまねく」は「こまぬく」の音変化とある。元来は「こまぬく」だったのだ。「こまぬく」は「拱く」と書き、「1.腕組みをする。2.何もしないで傍観する。」という意味。現在ではほとんど2の意味でしか使われていない気がするが。またひとつ賢くなった。

 昨日の電話でボグダンが「戸棚を片付けていたらビワ(の種)というのが出てきたが、これは何だ?」と訊く。枇杷はポーランド語で何というのかわからない。果物のなる木だと説明する。電話が済んでから植物図鑑をひく。枇杷の学名は「Eriobotrya japonica Lindl」、japonicaとあるので日本固有種だろう。英語では何というのか? 和英辞典をひいてみると「a loquat」、英語ポーランド語辞典で「loquat」をひくが載ってない。いずれ図書館に行ってヨーロッパ植物大図鑑で学名からひいてみよう。柿はフランスでも「kaki」と呼ぶそうだから、そのうち「biwa」も国際語になるかも。でも「biwa」と書くとポーランド人はきっと「ビヴァ」と発音するだろう、Kurosawaをクロサヴァと発音しているように。



弦切断事件 2004.1.30(金)

 1月27日、大泉学園in"F"にて坂本弘道+芳垣安洋DUO。2ステージめの最後、坂本さんがグラインダーでチェロの弦を切りはじめた。まず、低い方から2番目の弦、ぷつっ。次はいちばん低い弦、続けて高い方の弦2本も。弦の値段をおおよそ知っているので、これでいくらの損害、とつい金勘定してしまいながら、私は悲鳴にならない悲鳴を上げていた。結局4本とも切り、左手で握った切れ端にグラインダーを当てて火花を散らした。線香花火のようだった。いままで何度も彼がチェロをいたぶるところを見てきたが、弦をわざと切るのは初めてだ。演奏していて切れてしまったというのとは全く違う。弦の切れたチェロは駒がはずれ、まるで死体のよう。訳知りの客たちがアンコールの拍手をしたのに坂本さんは困って、よろけた拍子に何かにぶつかったのか、アンプがぶちっと鳴った。それで頭を下げておしまいにした。
 芳垣さんが「それっていくらなの?」と聞いた。「1万4、5千円かな…」と坂本さん。「それだけ稼ぐには何回ライヴやればいいの?」とたたみかける芳垣氏。このあたりから坂本おっかけファンのHさんと私の口撃も加わる。「30万の出費に比べたら1万4、5千なんてどうってことないなんて思わないでね」とHさん。そう、坂本さんは50万で購入したばかりの車が煙を吐いて動かなくなり、修理に30万かかると言われたばかりなのだ。お金も勿体ないが、私はそれ以上にチェロがむごたらしく傷つけられたという印象をぬぐえなかった。Hさんは「私はチェロがかわいそうとは言わない。お金持ちだったら別に何やってもいいですけどー」と言っていたが。昔、アニメ「みなしごハッチ」のある回で、登場した虫のキャラクターが何か理不尽な理由で搾取されたうえ死ぬことになっているのを知って、いたたまれずもんもんとしたことを思い出した。「悲劇映画を見たような感じ」と私は坂本さんに言った。
 翌日になっても、嫌な感じが残っていた。いままでチェロがどんなにいじめられても平気だったのに、なぜ今回はこんなに後味が悪いのだろう。
 悲劇は、見る人に非現実の中で悲しみを疑似体験させ、カタルシスを与える。だから見終わって現実に戻ったあとは気持ちがすっきりするのだ。
 今度の悲劇は現実に戻っても終わらない。目の前に無惨なチェロの姿があり、損害額もはっきりしている。舞台上で殺人が演じられたあとに本物の死体が転がっているようなものだ。だから「悲劇映画」にはなりそこねている。
 もうひとつ思ったことがある。これは自傷行為に似ているということだ。
 映画監督の森達也氏が映像を教えている学生たちに「自分の大切なもの」というテーマで短い映像作品を作れという課題を出したところ、ある学生が、自分の大事にしているカブト虫を燃やすというアイデアを提出してきた。困惑した森氏はやめさせようとしたけれども学生は聞き入れなかった。というエピソードを森氏は自著の中に書いている。
 チェロは間違いなく坂本さんの愛する大切なものだ。彼の演奏を見てエロスを感じるという人が多いのは、彼がチェロと睦み合っているように、ときにSMプレイをしているようにも見えるからだろう。男性ファンはチェロを女性の体になぞらえて見、女性ファンは想像の中でみずからをチェロに置き換える。演奏の激しさのせいでチェロが多少傷付いても、それはそういう行為の最中にあり得ることだから許せる。たとえ弦が1本切れても、エンドピンから火花を散らしても、致命傷ではない。しかし、弦は楽器の心臓部だ。弦がすべて切れたら弾けない。それをわざと焼き切るのは、心臓にナイフを突き立てるようなものではないか。チェロが坂本さんのアニマだとすれば、すなわちそれはおのれに刃を向けることと同義だ。
 自傷行為を見るのが恐ろしいのは単に血が出るからではない。ひょっとしたら自分も同じことをしてしまうかも知れないと気付かされるからだ。高所恐怖症と同じ。高いところが怖いのは、落ちて死ぬのが怖いからではなく、飛び下りてしまいたくなる自分に気付くから。そうなってしまう自分が怖いのだ。私も自分にとって大切なものをわざと壊してしまうかも知れない。カブト虫に火をつけてしまうかも知れない。愛する人を傷つけてしまうかも知れない。そういう、普段は蓋をして見ないようにしている自分の中の深淵が見えてしまうからだ。
 ここに至って定石通りエロスとタナトスが合体し、ギリシャ悲劇ならばこれにて幕なのだが、もやもやが晴れないのはやっぱり坂本さんの財政状況と私のそれが相似形だからか。



異形のものたち 2004.2.6(金)

 昔から鬼や魔女といった異形のものが好きだった。
 「おにたのぼうし」、小学校一年の夏休みの宿題の読書感想文を書くために、母が課題図書だったこの絵本を買ってきた。当時、ひらがなカタカナがすべて読めたとはいえ、自力で本を読んで理解し、その感想を文章にまとめるなどという芸当は私には到底無理で、母が書いてくれた感想文を丸写しにした。「おにたというなまえはかわいいな。」と原稿用紙に書き写しながら、「どこがかわいいんだ、こんな名前」と思ったことを憶えている。ちなみにうちのきょうだい3人の俳句の宿題はほとんど母が考えた。私は定型詩を作るのが苦手で、どうしても自由律になってしまうのだ。
 「おにたのぼうし」は心やさしい鬼の子が主人公の話。でも鬼とわかったら嫌われるから、自分の本性を隠して人に親切にするのだ。スペクタクルがない静かな静かな話。いわさきちひろの絵に魅せられた私は、その後数年間ちひろをまねて淡い水彩画ばかり描いていた。
 「ごんぎつね」は国語の教科書に載っていた。人からよく思われていないいたずらぎつねがこっそり善いことをし、挙げ句に誤って殺される話。泣ける。
 NHK「みんなのうた」でやってた歌。タイトル、作詞作曲者ともわからない。人間になりたがった鬼が、神様に「一晩で山頂まで百段の階段を作ったら人間にしてやる」と言われ、一生懸命に階段を作るのだが、九十九段目で夜が明けてしまい人間になれなかったという内容の歌詞。何とはなしに聞いていたら涙が出てきて、母に「なに泣いてるの?」と訊かれ、恥ずかしかったことを憶えている。10才頃か。
 「二ばんめの魔女」。児童文化館の図書室で借りた翻訳もの絵本。アンドリュー(またはアンドルー)という男の子が、森の中の一軒屋に住む女の子ビビアンと仲良しになる。ビビアンは魔法で夏を冬に変えるなどいろいろないたずらをする。あるとき彼女のいたずらに怒った人たちが、彼女の友だちの気のいい熊を魔女と間違えて殺してしまう。魔法がもとで無実の者が死んだ場合、魔女は人間界を去らねばならない。作者名は憶えていないが、いまでも心に残る話だ。
 「かあさんは魔女じゃない」。これも魔女狩りの話。暗い。
 「しばてん童子」。しばてん童子は通行人に「おんちゃん、すもとろ」といって相撲を挑み、千人(だったか?)に勝つと晴れてカラス天狗になれる。しばてん童子が相撲に負けると雨が降るという民話を題材にした話。村上豊の挿し絵がほのぼのとしてかわいくて好きだった。
 こうして思いつくまま挙げてみても、キャラクターに一定のパターンが認められる。
 1. 根は善良なのに、2. (しばしば外見のせいで)周囲から理解されず、3. 努力が報われない、あるいは無実の罪を着せられる。
 また、はっきりハッピーエンドといえるのは「しばてん童子」だけで、ほかはみな悲劇か、どちらともいえぬ宙ぶらりんで終わる。
 こうした物語への嗜好は大人になっても変化することなく、私は相変わらず変なものが出てくる変な話が好きだ。というか、そのほうが私にとってリアルなのだ。何でも訳がわかって、みんなが理解してくれて、努力したら報われるなんて世界にはリアリティがない。



花の中で… 2004.1.16(金)

 仕事中、頭の中で唐突に、アニメ「赤毛のアン」のエンディング・テーマ曲が流れ出す。「♪走っても走ってもー…」
 歌詞が「♪花の中でいちにちは終わるー」のところまで来たら、「でかなのなは」という言葉がこれまた唐突によみがえった。
 小学校のとき、同級生だった、たしかクロサワさんという女の子が、自分で作った絵本を見せてくれたことがある。画用紙にクレヨン描き、A4判20ページほどで、花と虫がでてくる話だった。詳しい内容は忘れたが、きちんと起承転結があり、ちょっと教訓的な結末がついていて、子供心になるほどと思った記憶がある。
 当時私は、自分は絵がうまいし将来は漫画家になるんだ、などとうぬぼれていた。絵本を描くなんていう芸当に、クラスでいちばんふさわしいのは自分のはずだ。どうしてこの子がそんなことをやってのけ、とくに親しいわけでもない私にわざわざ見せるのか? 要するに私は、同級生がストーリーも絵も製本もひとりでこなし、しかもかなりの出来であると知って、やっかみ半分、内心うろたえたのだ。
 読み終えて絵本を閉じ、表紙を見ると、その上部にでかでかと書いてあった題名が「でかなのなは」だった。
 私はクロサワさんに、「でかなのなは、って何?」と尋ねた。
 クロサワさんは「はなのなかで、だよ」と答えた。
 「はなのなかで、だったら左から右に書かなくちゃだめだよ、これじゃあ逆だよ」とか何とか、しつこい私はさらに言ったはずだ。クロサワさんは別段気を悪くしたふうでもなく、でもいま書いてあるとおりでいいのだ、というような意味のことを答えた気がする。はっきりとは憶えていないが。
 その後まもなくクロサワさんは転校してしまった。引っ越し先の住所を教えてくれたので手紙を出したら、一度だけ返事が来た。こちらからそれにまた返事を書いたが梨の礫だった。



朝の夢 2004.1.10(土)

 法政大学所沢校舎に学園祭企画の講演会を聴きに出かける。所沢駅からバスで15分か20分くらいのところである。わりと大きな階段教室はほぼ満席。後ろに出された折りたたみ椅子に座っている人も数人いる。講演は2部か3部に分かれている。私はこのあと用事があるので、休憩時間に抜けて帰るつもりだ。
 1部が終わったところで、私の3列ほど前方左側の女の人が黄トラの仔猫を抱いているのに気付く。おとなしい猫だが、女の人が周りの人に見せようと猫を持ち上げたり向きを変えたりするたび、首輪につけた鈴がチリチリと鳴って、ざわざわした人声の中でもしきりによく響く。ふと見ると、2列ほど後ろには茶色のミニチュアダックスフントを膝にのせた人もいる。
 そろそろ2部が始まるらしく、黒い背広にネクタイ姿の司会者が舞台下手に現れる。彼は鈴の音に気付き、「だれですか、うるさくしてるのは」と言う。学生がふざけて鈴を振っていると思ったようだ。
 たまたま隣にいたTさんに私はじゃあねと目で合図してそこを出る。
 さまざまなサークルの催し物のポスターが壁にベタベタ貼ってある通路を抜け、大学前のバス停に向かうと、すでに10人ほど並んでいるのが見える。すぐにバスが来るが、所沢駅行きとは書いてない。運転手に尋ねると、所沢には行かないと言う。おそらく逆方向なのだ、向かいのバス停から乗ればいい、と思う。が、ふと気付くと私はバスの最後尾の真ん中の席に座っている。立っている人がたくさんいて、前の電光表示が見えない。そうこうするうち終点に到着してみんなが降りる。
 大きなビルに囲まれた、ペデストリアンデッキのある立体的な駅前ロータリー。電車に乗るにはエスカレーターか階段で2階に上がるのだ。メインのエスカレーターの右側に別の通路があり、「とみず」という看板が掛かっている。小田急の富水駅がこんなに大きいはずはないから腑に落ちない。ただ駅の構造が改装後の小田原駅に似ているなと思う。
 


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