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このごろのシバタ
[2004年夏のクラクフ日記]




@東京 2004.7.29つづき

7月27日(火)雨のち曇り
定刻より1時間7分遅れで3:23にワルシャワ中央駅着。タクシーで空港へ。
空港のカフェでコーヒーを飲みながら1時間半ほど待つ。5:30すぎにチェックイン。2年前に比べると荷物検査は簡素になっていた。
免税店の値段表示は2つ併記されている。目的地がEU内とそれ以外の地域で異なり、EU内の方が高い。レジで航空券を見せて買う。
電話をかけようと思ったが、IC式の公衆電話がない。私の持っているテレフォンカードはIC式のばかりだ。
7:30発ロンドン行き。約2時間半後ロンドン着。ヒースロー空港内をいろいろ観察。
13:40発成田行き。バルト海に出たら、船が6つ、彗星みたいに見える。地上から飛行機を見上げるときも思うことだけど、あそこにも人がいると思うと不思議な感じだ。ビデオ画面に出る地図の地名表記にときどき変なのがある。


7月28日(水)曇り
クラクフを出て29時間後、成田着。



@東京 2004.7.29

7月25日(日)雨のち晴れ 20℃→25℃
朝食後、タンデタ(雑貨市場)に行く。ボグダンは老眼鏡と黒のコーデュロイのズボンを、私はジップアップセーターを買う。体重計を20ズウォティ(約600円)で購入。
いったん帰宅してから、線路の向こうのスーパーで買い物。プワシュフ駅前の店で昼食。ボグダンはソーセージとパンとビール、私はチキンカツとフライドポテトと煮込みキャベツにコーラ。
うちに帰って庭のヒマワリの写真を撮る。
5時に「Teleexpress」(ニュース番組)を見てから、ボグダンは昼寝。私はフィルム現像。8時から1時間ほどバグリのほとりで自然観察。
テレビでシガニー・ウィーバー主演の「A map of the world」という映画。


7月26日(月)晴れのち曇り 26℃
朝8時頃、パヨンクから「その後、水漏れはどうか?」と電話あり。
マッシュルーム入り卵焼きで朝食。
ボグダンが庭のコスモスの花を3本切って押し花にしてくれる。
線路の向こうのキオスクでたばこ、駅の売店で新聞(キオスクで売り切れだったため)、薬局でボグダンの薬受け取りを待つ間に、薬局備え付けの血圧計で血圧を測ってみる。スーパーで買い物。アイスクリームをなめながら帰る。
私は荷造り。
新聞の求人欄で近所の会社に運転手の求人があったのでボグダンは早速電話する。 12時過ぎ、友人のミェテクに電話すると、2時間後に車で来るという。
ボグダンは履歴書を書く。私は庭で写真撮影。
2時半になってもミェテクが来ないのでエステルカに行こうとしていたところ、ミェテクがやってくる。しばらく彼の仕事の話などを聞く。
ミェテクが帰ると同時に我々はエステルカに行き、ザピェカンキ(ピザパン)で昼食。近所のスーパーで買い物。
雨が降ってきたので散歩にはでかけず、5時からTeleexpress(ニュース番組)、そのあとUWAGA(報道番組)を見てすごす。
7時頃、ブラグーシャから電話があり、明日午後、水道工事の残りをしに来るという。
8時に家を出てクラクフ・プワシュフ駅へ。私の乗るKolobrzeg行き列車はプワシュフ駅始発でずいぶん早くからホームに入っていたので、ボグダンといっしょに車室に入ってゆっくり話す時間があった。
21:12定刻発。車室内は私ひとり。検札が2度来る。ラドムとワルシャワの間のどこかの駅でなぜか1時間ほど停車。



@クラクフ 2004.7.25

7月23日(金)曇り時々雨 朝22℃ 昼26℃
朝6時頃、ザーッというにわか雨のような音がする。ボグダンが起きて何かやっている。壁の中で水漏れしていたので水道の元栓を閉めたという。とりあえず朝食。ブラグーシャに電話して午後3時に来てもらうことにする。
診療所にボグダンの薬の処方箋を取りに行く。電車の車窓から写真を撮る。
私たちが着いたとき、ちょうど診療所の受付係が席を外していて、おばさんとじいさんが待っていた。係の女性2人が戻ってきてから、そのおばさんとじいさんがぐだぐだ話し込んだうえ、あとから来たばあさんが割りこみをしたのでボグダンは怒る。
雨が降ってきたため雨宿りにDekafencjaに行くが、開いてなかったので地下の「FREE PUB」に行く。店のお兄さんは日本に興味を持っている人だった。店の壁には民主化以前のブリキ看板がたくさん掲げてある。カウンターには「病気の子どものための相談所」。
スワフコフスカ通りのベーカリーでパンとマカロンを買う。
喫茶店ドミノでキャベツ入りピエロギを食べてから市電で帰る。
薬局で、1人のばあさんが延々ああだこうだと述べ立てて他の人を待たせ、次のおばはんは買いたい薬の名前は忘れたけどオレンジ味で…云々かんぬんとぬかすのでボグダンは腹を立てる。
3時過ぎにブラグーシャが来る。壁のタイルを一部割って、破裂したゴム管をはずし、外のホースを壁の中の水道管に直接つなぐ。残りの作業は後日。
ボグダンは昼寝しようとするが、隣のうちの金槌の音がうるさくて寝られず怒る。
カスタードクリームを実際に作りながらボグダンに作り方を教える。
6時頃からふたたび大雨。
夜9時過ぎから、向かいのガラス問屋の入り口にアスファルトを敷いている。


7月24日(土)曇り
マッシュルーム入り卵焼きで朝食。近所のスーパーで買い物。
電車でクラクフ中央駅へ。昼12時からKino pod Baranamiでマイケル・ムーア監督の「華氏9.11」を見る。予想範囲内のおもしろさ。
聖トマシュ通りの最近開店したセルフサービス食堂で、私はほうれん草のクレープ、ボグダンはロースカツ(付け合わせはジャガイモとほうれん草)を食べる。味はまずまずだったが油っこくて食べきれず。
そのあとで聖ミコワイ教会に建てられたハチカル(アルメニアの十字架を刻んだ記念碑)を見に行く。Dekafencjaで休憩。
電車で帰宅後、昼寝。7時から2時間ほどバグリのほとりで自然観察。
夜はテレビでクリント・イーストウッドの「True Crime」という映画を見る。



@クラクフ 2004.7.23

7月22日(木)晴れのち曇り 30℃
インゲン豆スープとオープンサンドで朝食。
斜向かいに住んでいた家族が引っ越しの際、置き去りにしていった犬ディノを、動物収容施設の車が来て連れていった。
電話代と電気代を払いに郵便局へ。
13時、ニュース番組の後、ハンガリーの草原に住む動物たちの番組を見る。
昼食後ボグダン昼寝。4時半頃ボグダンは女医先生に電話して薬の処方箋を頼む。
線路の向こうのキオスクで同時プリント受け取り。市電で街へ。写真屋でポジ3本受け取り。行きつけのカフェ「Dekafencja」でビールとアイスコーヒー(インスタントコーヒーと砂糖入りの牛乳)。
Kino pod Baranamiでレフ・マイェフスキ監督の「Ogrod rozkoszy ziemskich この世の楽園」を見る。ベネツィアを舞台に、ボッシュの絵をモチーフにして恋人同士がパフォーマンスを繰りひろげ、みずから手持ちビデオカメラで撮影する。原作、撮影、音楽もマイェフスキ監督自身が手がけた。現代美術的要素満載、実験的映像。
川向こうのデンブニキ地区を散歩。小さなbarでビールとジュース。
市電の車中に設置されている切符自販機にお金を入れたのに切符が出てこないので、ボグダンが運転手に「自販機にお金を盗まれた」と言ったら、「そのまま乗っていてください、気にしないでください」という答え。まことにポーランドらしい。
帰宅後テレビでロマン・ポランスキ監督の「チャイナタウン」を見る。4チャンネルはCMと番組予告が多すぎる!



@クラクフ 2004.7.21

7月19日(月)晴れときどき雨 朝23℃ 昼28℃
朝4時頃、ボグダンが起きたので、水漏れのことを知らせるとえらく怒る。水道の元栓を締めて朝を待つ。7時半頃ボグダンが起きて、水漏れを直してくれそうな友人に電話するが出かけていてつかまらない。電話帳で調べて、あちこちの水道屋に電話してみるが、今日は休みだとか、従業員が休暇中だとか、この番号は現在使われておりませんとか、そんなのばかりなのでボグダンは怒り心頭。当方の住所を聞いてから(遠いので面倒くさいらしく)来るのを断った業者もいた。仕事がないと嘆くくせに、仕事があるとやりたがらないのは困ったものだ。顧客サービスやプロ意識へ至るにはまだまだ遠い道のり。
業者はあきらめ、友人のズビシェク・パヨンクに電話すると来てくれるという。彼を待つ間、私1人で買い物。ズビシェクは二日酔いで、かけつけ1杯ひっかけると早速仕事に取りかかる。シリコンをはがして壁の中を見ると、金属管があるべきところにゴムホースが使ってあり、セメントで固めてあった。セメントの石灰でゴムが劣化して水漏れしているのだった。ズビシェクも「こんなのは初めてだ」と言って頭を抱える。パッキン取り替え程度で済むと思っていたのだが、これだとタイルをはがしてゴムホースを金属管に取り替えなければならない。今日は応急手当だけして明日また来るという。
ズビシェクが帰るとすぐに猛烈な雷雨。ボグダンと私はしばらく昼寝。2時半頃、スパゲティ・トマトソースを作って昼食。エステルカの元店長アニャと3時に待ち合わせしていたが、ちょっと遅れると電話があった。隣の部屋の住人がうちとの境の壁を金槌でゴンゴンたたいて何かやっている。うるさくて仕方がないので早めにエステルカに行く。
5時過ぎにアニャが息子クバ(1才9か月)を連れて現れる。ボグダンのためにコンピューターを設置してくれることになっていたヴォイテクも来る。しばらくアニャと話し、雨がやんだのでヴォイテクにうちまで来てもらい、新しいモニターを設置し、モニタードライバをインストールしてもらう。
夜は「COTU COTU Live@なってるハウス」のビデオと、ボグダンが録画しておいたミーアキャットに関する番組のビデオを見る。


7月20日(火)晴れ 暑い
庭仕事をしていると隣の子猫が遊びに来たので抱っこしていたら、隣の窓からおばさんが顔を出していきなり「放して! 放して!」と叫ぶ。私が猫を盗もうとしているとでも思ったのだろうか? 私たちは猫好きだし、猫がうちの庭に入って遊んでも構いませんよと言ってみたのだが、おばさんが理解したかどうかは疑わしい。 そのあとボグダンといっしょにコンピューターの空き箱をガレージにしまいに行き、鍵を開けるのに手こずっていたら、向かいの団地の窓からおばはんが「何してるんだ」と言う。ボグダンが「これはうちのガレージだよ」と言ったのだが、警察に通報すると息巻いていた。ガレージの借り手の若夫婦の母親らしい。
この2人のおばはんの言動でボグダンも私も気分を損ねた。
ボグダンのパソコンはまだネットにつながっていないので、とりあえずWordの使い方を簡単に説明する。
結局、ズビシェクは来なかった。うちで酔いつぶれていたらしい。
買い物後、バグリのほとりでしばらく過ごす。
私1人で線路の向こうへ行き、ハガキ投函、ネガカラー2本同時プリントに出す。帰りにトマト、玉ネギ、マッシュルームを買う。
うちで白黒フィルム4本現像。
夕方、映画「真珠の耳飾りの少女」を見に行く。17世紀のオランダ、デルフトの日常風景がフェルメールの絵そのままに入念に映像化されていて美しかった。脚本、演出とも予想以上によくできた映画で、ボグダンも私も大満足。


7月21日(水)晴れ 28℃
朝食後、私1人で買い物、庭仕事。
ボグダンは新聞を読みながら、ロボットによる外科手術の番組を横目で見ている。暑くて出かけたくないというので、私1人で出かける。
中央広場のEmpikのCD売り場にはTZADIKのCDが揃っていて、Ohtomo Yoshihide、RUINS、ROVOがあった。K.Komeda、T.Stanko、Cracow Klezmer Bandを購入。
写真屋にカラーポジ3本現像に出す。
老人養護施設にいる知人のイザさんを訪問。3人部屋。99才のアグニェシカさんと70くらいのダヌタさんが同室。しばらく話をし、写真を撮らせてもらう。パンとハムとキュウリの食事を私にも分けてくれたので、いっしょにいただく。アグニェシカおばあさんはキュウリを私にくれて、自分はパンの耳とハムの縁をナイフで削りおとして柔らかいところだけ食べる。ダヌタさんはパンにハムとキュウリのスライスをきれいに並べながら、「これにマヨネーズかホースラディッシュがあればいいのにねえ」と言う。イザさんはハムもキュウリも嫌いで、パンに持参のジャムを塗って食べていた。もうすぐ足の手術を受けるという。
その後、本屋2軒まわっていろいろ買いあさる。マイケル・ギルモアの「心臓を貫かれて」のポーランド語版を偶然見つけ、ボグダンへのプレゼントに購入。ちょうど昨日この本の話をしたばかりだったので。
ストラルスカ通りの菓子屋でセルニク(チーズケーキ)を買って帰る。
テレビで「Mockingbird Don't Sing」というアメリカ映画を見る。10年間、実の父親に監禁虐待された娘の話。実話を下敷きにしている。そのあと、1960年代半ばから70年代初めにかけてポーランドのカトヴィツェで起こった連続女性殺人事件に関するドキュメント番組とイラクに派兵されているポーランド軍に関するドキュメント番組。



@クラクフ 2004.7.19

7月17日(土)晴れ
8時起床。昨日のTAKE OUTのピエロギとプラツェク(ジャガイモパンケーキ)を少し食べる。シャワールームはあるがタオルがないので入浴はあきらめ洗顔のみ。ずぶぬれの靴を持参のドライヤーで乾かす。博物館構内の車両のなかにあるお店でコーヒーを飲もうとしたらまだ開いてない。ピエロギとプラツェクの残りをここの犬にやるとたちまち平らげる。
駅に帰りの切符を買いに行く。ちょうど電車がホームに入ってきたところで、切符売り場のおばさん(ハブフカ駅唯一の駅員らしい)がホームに出ていってしまったので少々待たされる。その間、旅行中のカップルがボグダンに英語で何か質問してきて、ボグダンが「English no good. 日本語ちょっとわかります」 と答えたら、男性の方がカタコトの日本語で「ここは駅です」と話し始めたのには驚いた。
それから駅の脇にあるハブフカ唯一のbarに行こうとしたら、地元の酔っぱらい3人に呼び止められ、ボグダンは持っていたヴィシニュフカ(チェリーウオツカ)の残りを彼らにあげてしまう。barでようやくコーヒーにありつく。
博物館に戻って、宿の1階と地下にある展示室を見学。鉄道模型と昔の鉄道関係の写真や資料など。地下室はシェルターとして作られている。その後しばらく屋外展示を見学。
15:41の電車でクラクフへ。車窓からコウノトリ2羽見る。
帰宅後、2階の住人プシェメクが、私たちの留守中にヴォイテクが置いていったモニターとマウスを運んできてくれる。プシェメクの娘エヴァがあとから来たので、ナガミミヨザル2号を見せてあげる。
夕方、エステルカに行き、帰りがけにバグリのほとりで自然観察。ミズネズミが目の前を3回横切る。蛙の声がちょっとだけ聞こえた。
夜10時頃帰宅。テレビでチェホチネク・ロマ・フェスティバルの生中継を見る。伝統的なロマ音楽というよりは、全体にワールドミュージック化していて、ショーアップしすぎであまり面白くなかった。


7月18日(日)晴れ 朝20℃ 昼28℃
夜中に雨が降った。7時起床。8時頃バグリに行って自然観察。白鳥、トンボなどの写真を撮る。帰宅後ボグダンはふたたび寝る。私1人で朝食、針仕事、庭仕事、掃除など。
午後1時すぎに電車でクラクフ中央駅へ。暑い。マテイコ広場のティファニーという店でひと休み。バルバカン(昔の要塞)で開かれている写真展を見る。厳しい戒律で知られる修道院のドキュメント。
そのあとBunkier Sztukiでケベックのアーティストたちのグループ展を見る。おもに写真やビデオなどを使ったインスタレーション。豆電球の光源を動かしながら、壁に並べたペットボトルの伸び縮みする影を見せる作品が面白かった。
今日はボグダンのおば、グラシュカのうちに行くので、プレゼントにトカゲ型のペンダント・ヘッドを買う。13番の市電で終点まで行く間、ボグダンは暑さで気分が悪くなってパニックにおちいり、大声で罵詈雑言を叫びだしたので困った。グラシュカのうちにたどり着くまでにも少々トラブルがあり、ボグダンはいらついていたが、彼女の部屋に入って落ち着いた。
レチョ(パプリカとトマトの煮込み料理)とサボテンジュースをごちそうになる。グラシュカとボグダンはビールとボグダン持参のジョウォントコーヴァ(ウオツカ)を飲む。9時半頃おいとまし、市電で帰る。ボグダンは帰宅後すぐに寝てしまう。
夜中12時頃、トイレの水洗タンクにつながっている水道管から水漏れしているのに気付き、とりあえず漏れた水がペットボトルに溜まるように細工して寝る。



@クラクフ 2004.7.18

7月13日(火)曇り16℃
朝食はゆで卵とポーク缶詰とトマトのオープンサンド。近所のスーパーで買い物。バグリの周りを1周するつもりだったが、1か所に1時間ほど座っていたら雨が降り出したので退散。ジャコウネズミのような動物が岸辺の葦に沿って泳いでいるのを見る。鴨の家族と白鳥の家族を写真に撮る。
昼食はスパゲティ・トマトソース。ボグダンは新聞読んでから昼寝。
5時に来るはずのヴォイテクから電話がかかってこないので、電話機を確かめたら線がちゃんとつながっていなかった。ヴォイテクの携帯電話にこちらからかけてみると、私たちが家にいないと思って今日は別のところにいると言うので、ボグダンは腹を立てる。エステルカに行ってみると、どこか別のところにいるはずのヴォイテクがビールを飲んでいたので、ボグダンはますます腹を立てる。夜9時45分頃までエステルカ、帰宅後ボグダンはクロスワードパズル。


7月14日(水)雨のち曇り15℃
朝食はポーク缶詰とトマトのオープンサンド、シャルロトカ(リンゴケーキ)。
ヴォイテクから「明日仕事休みを取ったので午前中に行く」と電話あり。
バスで税務署に行く。それから役所でボグダンの新しい身分証を申請する(手帳型からカード型になった)。発行は1か月後。そのあと裁判所に行き、アパートの名義書換について聞こうとしたら担当部署がすでに閉まっていた。裁判所の入り口に警官が2人いて、手荷物のX線検査をしていた。しばらく前に裁判所内で検事を狙った発砲事件があったため。
駅のそばのbarで軽い食事。ボグダンはフラチキ(牛もつスープ)とビール。私はピエロギ・ルスキェ(エッセイ参照)とコーヒー。
ラコヴィツキ墓地でボグダンのおばあちゃんとおじさんのお墓参り。ビンチツキ(俳優)、P・スクシネツキ(ピヴニツァ・ポド・バラナーミ創設者)、T・カントル(演出家)、私の知人A・スタルチェフスカ女史のお墓にもロウソクをともす。 18時、行きつけの喫茶店でボグダンの娘マルタと待ち合わせ。タイミングよくズビシェク・フィヤウコフスキ(通称シャイブス)が現れる。ボグダンが出がけに今日はシャイブスに会うかもしれないと言っていたのが当たった。23時過ぎにタクシーで帰宅。


7月15日(木)朝12℃ 昼20℃
午前中に来るはずのヴォイテクから連絡がないので何度も彼の携帯に電話するが出ない。明日行くつもりのハブフカの鉄道博物館に電話して宿を予約しようとするが、担当者がつかまらず、なかなかはっきりした答えがもらえない。
私1人で買い物。ボグダンは何度もヴォイテクに電話するが出ない。
15時45分頃うちを出て115番のバスでマルタの古着屋に行く。ボグダンと私はズボンやセーターを何着も試着させられ、そのうちズボン5着とカットソー2着、ブラウス1着を計32ズウォティ(約900円)で購入。そのあとマルタといっしょに戻り、彼女にバグリやトンネル、ボグダンの庭と部屋を見せ、レトルトパックのたぬきうどんをごちそうする。
ボグダンと私はそのあとピヴニツァ・ポド・バラナーミのコンサートに行く。8月8日までジャズ・フェスティバル開催中。
J.Smietana(g.)/S.Logan(b.)/A.Czerwinski(ds.) TRIO。大人っぽいフュージョン。
クラクフ中央駅で電車を待っている間、ボグダンが鉄道警備員を挑発して口論になったが、タイミングよく電車が来たので大事にならずにすんだ。


7月16日(金)晴れ 夜になって雨
ボグダンがPKPのインフォメーションに電話してハブフカ行き電車の時刻を聞く。1泊分の荷物を詰め10時半すぎに家を出る。2時間の道中、車窓から沿線の写真を撮る。
ハブフカ駅から鉄道博物館までは徒歩10分ほど。まず宿の部屋を頼んで荷物を下ろす。もと鉄道員宿舎だったところでホテルのようなサービスはないが、1泊1人20ズウォティ(約600円)という値段はクラクフでは考えられないほどめちゃ安。 構内に屋外展示されている機関車や車両を見て歩く。
そのあと博物館の人に聞いたレストランまで散歩がてら30分ほど歩いていく。インテリアは山小屋風、ウェイトレスが山岳民族の衣装を着ている。空豆入りピエロギとジャガイモパンケーキ牛肉ソースを頼む。おいしいが大きすぎて食べきれない。残りはお持ち帰り用に包んでくれた。
帰り道、馬車で干し草をひっくり返す作業をしていたので写真を撮ろうとしたら、そのおじいさんがこっちに来いと呼ぶ。私に馬の手綱を握らせ、カメラのシャッターを押してくれる。そのあと馬の背中に乗れと言い、その写真も撮ってくれる。 ボグダンはユダヤ人を収容所に運んだ車両に手を当ててしばらく耳を澄ませたあと、涙を流しながら戻ってきた。屋外のベンチでしばらく小鳥を観察しながらボグダンと話す。
ボグダンはしばらく昼寝。
夜9時頃雨が降り出すが、ボグダンが雨でも出かけると言い張る。宿の夜警のおじさんに聞くと、ハブフカにはこんな時間に開いている店はないと言う。結局、トラックに水を跳ねかけられ、ずぶぬれになりながら、昼間行ったSIWY DYMという店にまた行く。夜はバンドの生演奏があり、お客さんが踊っている。vln.,g.,b.,ds.の編成で、ポーランドの歌謡曲を民謡風にアレンジしたものや山岳民謡を演奏。 帰りはタクシーを呼ぼうとしたら電話番号がなかなかわからず、店のバーテンや警備のおじさんや常連客らしき地元のお兄ちゃんなどが人脈と携帯電話を駆使して大がかりに呼んでくれた。午前1時頃就寝。



@クラクフ 2004.7.13

7月11日(日)晴れ 22℃
線路の向こうに買い物に行く途中、カタツムリを2匹見かける。帰りに見たら2匹とも踏みつぶされていた。
ボグダンがキャベツを煮る様子を写真に撮る。
ソーセージとキャベツで昼食。ボグダンは洗濯後、昼寝。私はメールチェック、庭仕事。
5時すぎに友人パヨンク夫妻のうちへ。メラという2才半の陽気な雌犬が出迎えてくれる。メラは、以前このうちにいたゲミネクという犬の娘。パヨンク夫妻とボグダン3人でウオツカ1/2リットル空ける。コンポート、ピェルニク(ケーキの1種)、ビゴス(キャベツとソーセージの煮込み)をごちそうになる。最終バスで帰る。
帰宅後ボグダンはテレビでロシアの犯罪ドキュメントと、ポーランドの探偵ルトコフスキの事件簿(これもドキュメント)を見る。


7月12日(月)曇りのち晴れ 21℃
朝、ボグダンが「電話だ」と言った途端に電話がかかってきた。ちょっとゆですぎた半熟卵で朝食後、フィルム現像。ボグダンは新聞を買って、帰りにエステルカに寄ると言って出ていったまま、なかなか帰ってこない。私は庭仕事、中庭にいる犬の写真を撮ってから、ひとりで昼食。3時すぎにボグダン帰宅。
5時半ころ家を出て115番のバスでボグダンの妹ハニャのうちに行く。前菜にチーズ(ひも状のと普通の)、キュウリの漬け物、トマト、ユレク(ハニャの夫)のお母さんが漬けたキノコ、メインはビーフストロガノフとご飯、デザートにマコヴィエツ(ケシの実ケーキ)とシャルロトカ(リンゴケーキ)をいただく。そのあと、ハニャの次男ユリアンを取材したテレビ番組の録画を見る。ユリアンは10才だが、たいそう大人びた詩を書くので、学校の先生さえ彼が自作したとは思わず、「親に書いてもらったのではなく自分で書いたのを持ってきなさい」と言ったそうだ。私たちがビデオを見ている間、ユリアン本人は恥ずかしがって自室にかくれていた。ついでに、ユリアンとダヴィッド(長男)が小さい頃のビデオも見る。11時すぎに帰宅。



@クラクフ 2004.7.11

7月8日(木)晴れ
今日はビトムで開催中の第11回国際コンテンポラリー・ダンス・コンフェレンス&パフォーマンス・フェスティバルに牧原さんが出演する日。
13:04発の電車でカトヴィツェへ。1時間半の道中、車窓から写真を撮る。カトヴィツェからビトムは市電で1時間ほど。市街地図を探すが売っていなかったのでキオスクのおばちゃんに道を訊く。なんとかダンスシアターにたどりついて、入り口にいたおばちゃんに今日の公演場所「機関車庫」の場所を尋ねたら途中まで道案内してくれた。機関車庫は昔実際に狭軌鉄道の車両を修理していたところで、いまは博物館になっている。
今日の公演はアメリカのLeah Stein Dance Companyとポーランドの学生ダンサー10人のコラボレーション。音楽は牧原さんのパーカッションにAudrey Chenのチェロとヴォイス。ミュージシャンもダンサーと同じく動きまわり、観客はダンサーを追って動きながら鑑賞。並んでいる車両を舞台装置としても楽器としても使っていた。がらんとした構内に音がよく響いて、なかなかいい雰囲気を出していた。とりたててダンスがうまい人はいなかったが、30分間飽きさせずに見せた。


7月9日(金)晴れ 30℃ 強風
近所のスーパーで買い物後、エステルカで休憩。最近までうちの斜向かいに住んでいたグジェシェクと、ピョトルシという人が来て、ボグダンは長話をする。私はボグダンを置いて3時に帰宅。庭仕事、昼食後、メールチェック、翻訳作業。7時半頃、にわか雨とともにボグダンが帰ってくる。夜、ボグダンがテレビで映画を見ている間に、こわれた中国スダレを修理する。


7月10日(土)曇りのち晴れ 22℃
部屋掃除。庭に近所の子猫が来て、コスモスの花にじゃれて遊んでいく。買い物後、エステルカに立ち寄る。帰る途中、たまたま2階の住人マジェナに会い、今日の夜、カラオケに行こうと誘われる。バグリに珍しい泥亀がいると聞いたのでボグダンといっしょに見に行くが見あたらない。トンネルの水たまりに蛙が1匹いた。水辺のゴミを拾って帰りに団地のゴミ箱に捨てる。ソーセージと玉ネギを焼いて昼食。ボグダンが昼寝している間に私は庭仕事。
6時すぎに市電で街に出て、中央広場で開催中の街頭演劇フェスティバルを見る。ヴァルデマル・ノヴァクという人の観客参加型漫談のあと、Wiener Tschuschenkapelleというウィーン在住外国人のバンドのコンサート。クロアチア、マケドニアなどのバルカン民謡をg.vo.,acco.,b.,per.,cl.の編成で演奏。ヴォーカルとギター担当のおじさんSlavko Ninicが落ち着いた渋い雰囲気でよかった。最後はポーランド人歌手がゲストで入って、ポーランド語の曲を歌った。そのあとはポーランドの劇団Teatr Prawdziwy。竹馬、火吹き、花火など、街頭演劇にお決まりの演出。
9時半にスキェンニツェ(中央広場の真ん中にある建物)のカラオケ・カフェに行く。マジェナの娘エヴァはここの常連。飲み物代だけでカラオケのチャージはなし。司会のお兄ちゃんパトリックに名前と曲名を言うと、彼が曲をセットし出番が来たら呼んでくれる。
お客さんは協力的で、知っている曲はみんなで大合唱になり歌声喫茶(本物は知らないが)のようだった。駅前から深夜運行バスで帰る。バスの中でボグダンが日本滞在中の体験や民主化前のポーランドのことを面白おかしく話すので、近くにいた女の子がずっとくすくす笑っていた。


@クラクフ 2004.7.7

7月6日(火)曇りときどき小雨
午前中、市電に乗って大型スーパー「TESCO」に行く。食料品と日用品を買う。帰りは144番のバスに乗ったら、まっすぐ行くと思っていたところを左折したので、あわてて降りて停留所ひとつぶん歩くはめになる。昼食はうちでスープとパンと梨。ボグダンは昼寝。4時半頃、家を出て電車で中央駅へ。写真屋で現像済みのポジを受け取ってから、ウォルフガング・ベッカー監督のドイツ映画「GOOD BYE,LENIN!」を見に行く。かなり笑える映画で、感情抑えめの表現なのがよかった。映画館ポッド・バラナーミは改装して座り心地のいい椅子になった。駅まで行ったがプワシュフ行きの電車がしばらくないので115番のバスで帰る。バスを降りて歩いていると目の前の道を小さい動物がゆっくり横切る。ハリネズミだった。私たちが近付いたとき、ちょうど道ばたの草むらにもぐり込むところだった。バグリのほとりで10cmくらいのまだら模様のナメクジを見つける。ふつうの6cmくらいの黒っぽいナメクジも何匹かいた。バグリの上にはコウモリが6、7匹飛んでいた。カモとカイツブリが夕ごはんを食べていた。


7月7日(水)晴れ
朝食後、日本宛のハガキを書いて、線路の向こうの簡易郵便局に行ったら、3ズウォティの切手がないというので、別の郵便局で買うことにする。買い物をしていったん帰宅。昼はボグダンが玉ネギと缶詰トマトでトマトソースを作るが、塩を入れすぎてしょっぱくなってしまった。昨日TESCOで買ったスパゲティーは、7分ゆでろと書いてあるが、13分ゆでないと柔らかくならなかった。ボグダンが昼寝をしている間に、こわれた中国スダレ(室内装飾用)を修理する。5時すぎに散歩に出かける。ザ・ブウォチェにあるシンドラーの工場を見に行く。教習所の車がたくさん通る。この辺りの事務所や工場の多くが空き家になっていて「貸事務所」の札が出ている。ヴィスワ川沿いの、昔、ボグダンが石炭運びのアルバイトをした場所は廃墟になっていた。ビールが飲める店を探しながらポドグジェを歩いたけれど、見つからないので結局うちの近くのエステルカに立ち寄る。


@クラクフ 2004.7.5

7月3日(土)
午前中、近所のスーパーで買い物。昼食用にボグダンが野菜スープを作る。
夜は第14回ユダヤ文化フェスティバルのファイナルコンサートに出かける。シェロカ通りの屋外特設ステージ。入場無料。ソーセージを焼く屋台などが出ていてお祭りムード。
最初はポーランドのブラスがメインのバンド。ds.,g.,b.,tp.,tuba.他。演奏はいまいち。次はオランダのバンド。cl.,b.,acco.という編成。3番目はドイツの女性acco.と男性b.のデュオにオランダのcl.が加わって渋い演奏。昨日、船の上で演奏してたのはこの人たちだった。4番目はイギリスのバンド。ロックっぽいアレンジで踊りやすい。このへんで雨が本降りになってきたので市電で帰る。
帰宅後、テレビでコンサートの後半を見る。ハンガリーの渋いバンド。vln.×3,b.,per.,g.,ツィンバロム、マンドリンみたいな楽器、女性ヴォーカル(笛も吹く)。民謡色が濃い。そのあとデイヴィッド・クラカウアー(cl.)のバンド。g.,エレベ、ds.,acco.,key.という編成。ジャズっぽいアレンジ。


7月4日(日)
朝食後、掃除機かける。午後1時頃、私がフィルムを現像している最中、去年まで向かいの部屋に住んでいたスタシェクが突然訪ねてきて、ひとしきりボグダンとしゃべってからすぐ帰る。そのあと豆乳ブディン(デザート)を作る。野菜スープとビゴスとパンで昼食。ボグダンは昼寝。フィルム取り込む。ブディン用のシロップを買いに線路の向こうの店に行く。そのままヴィェリツカ通りを散歩。ボグダンが通った中学校を通り過ぎ、ボグダンが昔住んでいたことがあるナ・コズウォフツェの団地を見に行く。当時はなかったお店がたくさんできていた。跨線橋を渡って大きいバグリの南端に出る。最近まで斜向かいに住んでいたバシャと家族の引っ越し先、グリニャナ通りを眺めて帰宅。夜はテレビでサッカー、ポルトガル対ギリシャ戦のあと、ジム・キャリー主演の映画を見る。


7月5日(月)
朝、近所のスーパーで買い物。午前中は新聞を読んだり、庭に紅茶かすをまいたり。昼食後、市電で街に出る。ARS Kiniarniaでソフィア・コッポラ監督の「Lost in Translation」を見る。バーカウンターのある30席ほどの小さなホール。カウンターの後ろに立っている映写機の機械音がかなりうるさい。ボグダンはハイネケンを飲みながら見る。映画の内容はまあまあ。ドゥーガ通りの本屋をのぞき、クレパシュ(食料品市場)でトマトとイチゴとサラダ菜を買い、ストラルスカ通りの菓子屋でマコヴィエツ(ケシの実ロールケーキ)とプルーンのケーキを買う。



@クラクフ 2004.7.2

7月1日
今日からクラクフを訪れる観光客は1日当たり1.60ズウォティの観光税をホテルの宿泊代に加算される。
午前中は近所のスーパーマーケットで買い物。
雨になるかと思って出かけずにいたが、なんとか降らずにいるので、大きいほうのバグリに散歩に行く。ボグダンは胃の調子がおかしい。
夜はテレビでチェコ映画「Navrat idiota(白痴の帰還)」を見る。


7月2日
午前中、近所のスーパーで買い物。庭の草むしり。向かいの部屋の改装工事がうるさい。午後1時から洗濯機まわす。4時すぎ、テレビニュースを見ていたら停電。30分ほどで復旧。6時すぎに出かける。7時にオトファルタ・プラツォヴニャでアンジェイ・フォルカス絵画展のオープニング。中央広場で8時30分からクレズマー船の航行を見る。船の形の車の上でフランスのバンドが40分ほどクレズマーを演奏しながら広場を1周。



@クラクフ 2004.7.1

朝は気温17℃、昼間は25℃、晴れたり曇ったり。

以下は6/27-6/30の覚え書き。

27日夜9時15分成田発の飛行機でパリに翌28日朝4時着。ドゴール空港は通路が狭く、ベンチもトイレも少なくて、5時間待たされる身にはすこぶる居心地悪し。9時35分パリ発、11時50分ワルシャワ着。バスでワルシャワ中央駅へ。14時15分発急行でクラクフへ。車窓から沿線の景色をカラーポジで撮影。コウノトリを4羽見かけた。統計によると世界のコウノトリの4羽に1羽はポーランドのコウノトリという計算になるそうだ。

クラクフ・プワシュフ駅で降りようとしたらホーム側のドアが開かない。窓ガラスに「このドアは作動しません」と書いた張り紙がしてある。隣の車両も同じ。ホイッスルが鳴って電車が動き出したとき、反対側のドアを開けて線路に飛び降りた。リュックサックが重くてしばらく立ち上がれない。電車が行ってしまうと、ホームで途方に暮れているボグダンの姿が見えた。


29日午前中は近所の雑貨市場「タンデタ」で買い物。電気ポット、ボグダンの老眼鏡、私の靴。帰りにエステルカで休憩。帰宅後、紅茶をいれて、ボグダンが焼いたケーキをいただく。午後3時頃にわか雨。ボグダン昼寝。

午後4時過ぎ、ボグダンといっしょにクラクフ中央駅に牧原利弘さんを迎えに行く。アメリカのフィラデルフィア在住のパーカッショニスト牧原さんは、フィラデルフィアのダンスカンパニーとともにビトムで開催される国際ダンスフェスティバルに参加するためポーランドにやって来た。3人で食事をしたあと、旧市街を散歩。工業都市カトヴィツェに泊まっていた牧原さんはクラクフに来てようやく観光客気分になり、デジカメで写真を撮りまくっていた。彼を夜10時25分のブダペスト行き寝台車まで見送って、ボグダンと私は同じ電車の普通車両でプワシュフに帰る。


30日午前中、郵便局で公共料金支払い、食料品買い物。バグリに白鳥のヒナを見に行く。ヒナは7羽。カモとカイツブリのヒナもいた。いったん帰宅して、ボグダンの作ったレチョで昼食。午後昼寝。その後、ポドグルスキ墓地へ墓参りに行く。ボグダンのヤネクおじさんとヤニナおばさん、私たち共通の知り合いだったクルコフスカおばちゃんの墓にろうそくをともす。

そのままヴィスワ川の方へ散歩。川向こうのクレーンが10機立っている工事現場を見に行く。ガレリア・カジミェシュという巨大なショッピングセンターを建設中。新しい橋を渡り、タンデタの横を通って帰る。




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