ポーランドではちょっと前まで、保存食料を作ることが主婦の重要な仕事の一つだった。冬になると新鮮な野菜や果物がほとんど手に入らなかったため、出盛りの時期に瓶詰めにして食料貯蔵室にためておくのだ。食料貯蔵室というのは、瓶を置くための棚がある、納戸のような狭い小部屋。民主化前の食料品店の棚には紅茶と酢とマスタードしかなかった、とは年輩者がよく話すことである。 数年前に亡くなったボグダンのお母さんは、夏、トマトの値段がいちばん安くなったときを見計らって、市場で何キロも買い込み、瓶詰めを作っていた。この瓶詰めトマトが、冬の間、トマトスープの材料になった。 あるとき、せっかく煮沸したのに、いくつもの瓶が密封されていなかったことがあった。よく見てみると、固く閉まった蓋を挟んで開ける道具を使った際に、蓋がゆがんでいたことが判明した。お母さんは駄目になった蓋を捨て、新しい蓋を買った。台所用品を売っている店では、いろいろなサイズの蓋をばら売りしているのである。 果物の瓶詰めも作った。ポーランドでは都市部の住人でも、郊外に家庭菜園を持っている人がかなりいる。そうした知り合いからリンゴやサクランボやスグリなどを大量にいただくことがある。そんなときも瓶詰めにする。リンゴは洗って皮をむき、傷んでいるところや芯を取り、一口大に切って、砂糖をふりながら瓶に詰め、煮沸消毒する。 スタニスワフ・レムの自伝的小説「高い城」には、家で果物の砂糖煮を作る際、甘い物好きの少年レムが「あく取り」役をみずから買って出たことが書かれている。あく取りと称して、レムはキイチゴの砂糖煮を盗み食いしていたようだ。 夏から秋にかけてポーランド人は森へキノコ狩りに行くのが好きだ。 いちばんおいしいと言われているのがプラヴジフキ(ボロヴィク・シュラヘトニィ)で、イタリア語ではポルチーニと呼ばれるキノコである。これは糸を通して首飾りのようにし、窓の外に吊して干しておく。乾燥したものは干し椎茸のような感じで、市場やスーパーマーケットでも売っている。よくスープやピエロギ(餃子のようなもの)の具にする。手元のキノコ図鑑には生食も可とある。 カニャ(チュバイカ・カニャ)はパン粉を付けてフライにするとおいしい。このキノコは傘が大きく、直径25センチメートルにもなるから、フライにすると一見トンカツのようだ。 ルィゼ(ムレチャイ・ルィツ)はバター焼きが美味。スワヴォーミル・ムロージェクの短篇「ハラタケ」で、監督官をもてなすパーティーのつまみとして所長が僕に買ってこいと命じるのがこのキノコである。 クルキ(ピェプシュニク・ヤダルニィ)は傘の直径3-5センチメートル、黄色からオレンジ色をしたかわいいキノコで、よく市場でも売られている。いったんゆでてからバター焼きにしたり、マリネを瓶詰めにしたりする。 マシラキの類はポーランドに9種類あり、その多くは食用。収穫するとき、傘の表面のぬるぬるした皮をすぐに取らないと、キノコ同士くっついてしまう。マシラキもよくマリネにする。今年の夏はボグダンの親戚から、手作りマシラキ・マリネの瓶詰めをいただいた。 毒キノコとして名高いのがムホモルキ(ムホモル・チェルヴォーニィ)。傘は赤地に白い斑点付きで、柄は白い。外見が派手でわかりやすいため、絵本やマンガによく描かれる。さすがにこれを間違えて食べる人はいないが、ほかの地味な毒キノコを食用と間違えて食べ、亡くなったり中毒を起こしたりする人が毎年続出する。新聞などで、何だかわからないキノコは食べないようにと再三注意を呼びかけているにもかかわらず、毎年命を落とす人がいるのは、命知らずの向こう見ずなのか、単なる不注意なのか。 ポンチキに入っているバラのジャムを作る様子を、「高い城」の中でレムはこう書いている。 数年前、ボグダンの従姉妹が亡くなったあと、形見分けにいただいたのは、彼女が作ったマシラキ・マリネと酢漬けのパプリカだった。ボグダンのお母さんが亡くなったあと、食料貯蔵室には瓶詰めが残った。いまはスーパーマーケットでいろいろな食料品がいくらでも買えるとはいえ、残った瓶詰めを食べきってしまえば、お母さんの味はもう二度と味わえない。 註: 1.スタニスワフ・レム「高い城」は国書刊行会より近刊予定 2.「ハラタケ」は拙訳のスワヴォーミル・ムロージェク「所長」(未知谷 2001)所収 2004.9.10 |