Essay
エッセイ




[ポーランドはおいしい] 第1回

[back number]
1. ウオツカとソーセージ
2. ピエロギの考察
番外編. ワールドカップに見るポーランド性
3. 料理名の不思議
4. 蜂
5. ビールの味いろいろ
6. ポーランドのクリスマス
7. 「ビゴス」と「おじや」
8. 脂っこい木曜日にはポンチキ
9. 桜咲く国
10. ポーランド人民共和国における外貨両替とその様々な側面
11. 綿毛降る
12. 鳴く虫
13. 瓶詰めの魔法
14. あこがれの漢字
15. ホウレンソウ
16. トンカツ東西比べ
   ウオツカとソーセージ 芝田文乃

 ポーランド人が自慢する自国の特産物といえば、まずはウオツカとソーセージ。

 日本でよく見かける「スブロッカ」と称するものは、本当は「ジュブルフカ」といい、もちろんポーランド国内にもあるが、好んで飲むポーランド人はあまりいない。ポーランド人が一般に飲むウオツカは、草など入っていない透明のものである。ほかに、ハーブで香りづけされた琥珀色の「ジョウォントコーヴァ・ゴシュカ」(直訳すれば「胃の・苦い」だが、味は甘い)や、チェリー・ウオツカと訳されている「ヴィシニュフカ」など甘口を好む人もいる。

 ポーランド人の飲み方は、50ccのグラスにストレートで一気に流し込み、チェイサーとしてグレープフルーツジュースかオレンジジュースを飲むというのが多い。割って飲む人は少ないようだ。

クラクフの酒屋
©1999,2006



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さて、つまみだが、ポーランド人はつまみなんかなくてもひたすら飲む。嗜むとか味わうという飲み方ではなく、飲むこと自体が目的になっているような、とにかく1本空けなければというような、日本人から見るとかなりむちゃくちゃな飲み方である。たいていのポーランド人は大酒飲みだ。アルコール依存症の人たちもよく見かける。イェジー・ピルフの小説「強い天使の下 pod mocnym aniolem」(2001年ニケ文学賞受賞作。日本語未訳)の主人公Jは、アルコール依存症治療の担当医師にこう言う。「先生、私はわかってます。飲みながら、長く幸せに生きることはできない、とりわけ私の場合不可能なことはよおくわかってます。でも、飲まないでどうやって長く幸せに生きられるんですか?」

 民主化以前のポーランドの飲み屋はすべて国営企業だった。当時は、つまみを注文せず酒だけ飲むのはアルコール依存のもと、けしからん、という口実で、酒を注文する客は必ずつまみも注文しなければならないという規則があった。つまみの種類はどの店も同様に、チーズ一切れ、ゆで卵半分、酢漬けニシン、といったところ。美しくも若くもない横柄なウエイトレスが「つまみは?」と訊いてくるから、客は一応、いちばん安いチーズかゆで卵を注文する。でもチーズもゆで卵も品切れで、値段の高いニシンしかないこともあり、仕方なくニシンを注文するはめになる。常連客は酒だけ飲み、つまみには一切手をつけない。下げられたつまみの皿はふたたびビュッフェのガラスケースに並び、次の客を待っている。チーズのふちが干からびてそっくり返り、卵の黄身が緑色になってもなお、皿はビュッフェとテーブルをいったりきたりする。この半永久的往復運動に終止符を打つため、チーズまたはゆで卵またはニシンを灰皿と見なし、両切り煙草スポルトのちびた吸い殻を押しつける客もいた。

クラクフのソーセージ屋
©1995,2006


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 ウオツカがポーランド人にとって基本的な飲料だとすれば、ソーセージというのはポーランド人にとってごく基本的な食料だ。ポーランド語にはハム・ソーセージ類を一語で表すwedlinaヴェンドリナという単語がある。小さな食料品店にはヴェンドリナとチーズはあるが、精肉は置いていないことが多い。一般に肉は値段が高くて贅沢なものという感覚があるようだ。肉とヴェンドリナのありがたさ比率は、日本人にとっての刺身と干物のようなものか。ヴェンドリナの種類は多く、手短に説明することは難しい。ここではソーセージの一種、カバノスを例に挙げ、ポーランド人のソーセージに対する特別な感情を理解する一助としよう。

 スワヴォーミル・ムロージェクの小説「モニザ・クラヴィエMoniza Clavier」(日本語未訳)は、ヴェネツィアにやって来たポーランド人らしき主人公「私」と、世界的な映画女優モニザ・クラヴィエの恋愛を軸にストーリーが展開する。恋愛小説と銘打ってあるが、恋愛がテーマというよりは、同じ作者の戯曲「亡命者 Emigranci」と同じく、テーマはポーランド人のアイデンティティである。

バルで出されるソーセージ
©1998,2006


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 主人公「私」の持つボール紙製トランクの中身のかなりの部分はカバノスで占められている。カバノスというのは細長い乾燥した薫製豚肉ソーセージである。細長いサラミのようなものを思い浮かべていただければ当たらずといえども遠からず。「私」曰く、「カバノスというのは乾燥ソーセージの一種で、私の国では普及しているが、よそではあまり知られていない。外国へ赴く我が同国人の間で大変評価されている。体積の割りにあまり重くないから相当の蓄えを運べるし、すぐには傷まないので長期間食べることができる。」カバノスは我が国の特産であって、ほかの肉類や海産物が豊富なヴェネツィアでもカバノスは見かけない。私だけがここの住民が持っていないカバノスを持っている。「私」はカバノスを自分の武器にして、ヴェネツィアを軽蔑していた。ところが、3日間朝昼晩とカバノスを食べ続けた「私」は、これをおいしいと、死ぬまで食べ続けたいと思うことが難しくなってくる。「カバノスとの呪われた結婚の中で」カバノスを食べていたとき、「私」は自国で昼食によく食べていたピエロギを思い出す。ピエロギというのは餃子のような形のポピュラーなポーランド料理だが、長くなるので詳細は省く。「そのとき、過去のピエロギと当地のレタスとの間で、前者も後者も奪われていた私は、前者を懐かしみ、後者を渇望していた。」カバノスの堅いしょっぱさと脂っこさ、ピエロギの柔らかさとまろやかさ、レタスの新鮮なみずみずしさが、亡命地(現実)─故国(過去)─西側(あこがれ・理想)のアレゴリーとなっていることはすぐにわかる。そして、「私」の武器であったカバノスは、ヴェネツィアのソーセージ屋の鉤にぶら下がっている巨大なバレロン(豚ネックのハム)を前にして、単なる普通のソーセージとなり果て、「私」は異国の地で闘うための武器を失ってしまう。

 ここで描かれているカバノスを「ポーランド」と置き換えてみてもよい。西側に出たポーランド人の「私」はロシア人と間違われたりもするが、東側の人間であるということからモニザに好意を寄せられる。ポーランド人というアイデンティティが、西側の人間とは違う特別なものという意味で武器となったわけだが、モニザとの最後の逢瀬を目前にして邪魔をするのもまた、ポーランド人なのだ。

 ポーランド人にとってのカバノス=ポーランドは、誇りであり、呪われた結婚相手でもあり、とても恥ずかしいものでもある。ポーランド人が自国を語るとき、つねにこうしたアンビヴァレントな感情が見え隠れしている。

註:
1. Jerzy Pilch,Pod mocnym aniolem:Wydawnictwo Literackie,2001
2. Slawomir Mrozek,Moniza Clavier,短篇集『2通の手紙 Dwa listy』:Wydawnictwo Literackie,1974 所収
3. Slawomir Mrozek,Emigranci,初出は雑誌"Dialog"1974 nr.8
 尚、Slawomir Mrozekの作品は現在、Noir sur Blanc社から全集が出ている。
2002.5



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