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ポーランド語原文
Essay
エッセイ




[ポーランドはおいしい] 第17回

[back number]
1. ウオツカとソーセージ
2. ピエロギの考察
番外編. ワールドカップに見るポーランド性
3. 料理名の不思議
4. 蜂
5. ビールの味いろいろ
6. ポーランドのクリスマス
7. 「ビゴス」と「おじや」
8. 脂っこい木曜日にはポンチキ
9. 桜咲く国
10. ポーランド人民共和国における外貨両替とその様々な側面
11. 綿毛降る
12. 鳴く虫
13. 瓶詰めの魔法
14. あこがれの漢字
15. ホウレンソウ
16. トンカツ東西比べ
   クリスマスを過ぎて思うこと ボグダン・ザヴァツキ

 以下は隣人と話したことだ。彼は私よりかなり若いのだが、昔の様子を憶えていて、私と嫌悪感を共有している。

 かつて私たちが子どもの頃は、12月6日の夜中にミコワイのプレゼントをもらったものだった。[訳註:12月6日は聖ミコワイの日。ポーランドの聖ミコワイはサンタクロースのモデルとなった聖ニコラウスにあたる] 枕の下の(靴下の記憶はない)聖ミコワイからのプレゼントはお菓子がぎっしりで、必ず金色の小枝が付いていて、私たちに過去の過ちを思い出させ、将来の罪について警告するというものだった。お菓子の中でも名誉ある位置を占めていたのはつねにピエルニク[ジンジャーブレッド]のミコワイだった。美しい司教の衣装と冠を身につけ、司教杖を持ち、ひげを生やした聖人の、紙の肖像が貼り付けてあった。

 この12月の晩には、ミコワイと悪魔と2人の天使を乗せた辻馬車がクラクフ中を走り回った。このミコワイは聖ミコワイの衣装を着ていた。赤い上着姿のこびとではなかった。ついでに言えば、サンタクロースなんてものがいったいどこからポーランドにやって来たのだろうか。

中央広場のクリスマス・ツリー
©2001,2006


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 2人の天使はしばしば厳寒にもかかわらず、見ると翼の付いたひらひらの白い衣装を着ていた。この2人が金髪の双子姉妹だったことを私は知っている。わりと最近まで中央広場で上品な年輩の婦人になった「私服の」2人を見かけたものだ。これだけの年月が流れても、あの人たちは私の子供時代のあの天使だと私にはいつもわかっていた。悪魔はしかるべく全身真っ黒で、赤い角と長い尾があった。その尾を「手で」振り回して子どもをおどかしたので、私たちは恐れおののいた。とはいえその恐怖は時が経つにつれて小さくなった。いまでもあの辻馬車がいつも鳴らしていた鈴の音が聞こえてくる。

 現在のミコワイはまったく気に入らない。とりわけ、赤いこびとのクローンの群れが、クリスマスの時期になると、世界中はおろかクラクフの通りまで歩き回るのは勘弁してほしい。彼らは(ポーランドで、クラクフで)ミコワイの伝統を歪曲し、浅薄化している。

 クリスマスには、私たちはイヴにツリーの下で「天使からの」プレゼントを受け取ったものだ。だがいまそんなことをだれが憶えているだろう?

 いまやプレゼントをくれるのは聖ミコワイという名の赤いこびとだ。じゃあ12月6日のミコワイはどうなったんだ、死んだのか? あの聖ミコワイは両親のようだった。小枝とピエルニクの肖像が入ったささやかなプレゼントを持ってきて、私たちを愛してくれ、私たちも彼を愛していた。

イヴのプレゼント
©2001,2006

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 当時彼には赤いこびととは別の競争相手がいた。それは神秘的な厳寒じいさんだった。厳寒じいさんは、子を持つ親の職場や、幼稚園や、文化会館などが開く催しで、行儀の良い子どもたちにおみやげを手渡した。前世紀の50年代と60年代の狭間のそうした催しを憶えている。厳寒じいさんからのプレゼントもまた競争相手を意識したもので、もっと大きなお菓子の袋だったが、小枝とピエルニクのミコワイは入っていなかった。このおじいさんがどうしてミコワイではないのか、なぜ別の服を着ていて、ねじれた杖の代わりに赤い星の付いた棒を持っているのか、私には理解できなかった。また厳寒じいさんがなぜ年が明けた頃にようやくやって来るのかもわからなかった。[訳註:厳寒じいさんはロシアの新年に登場する人物。当時のポーランドの共産主義政権がソ連から輸入したものと思われる]

 子どもたちはそれを検討することなく、私も含め皆プレゼントがもらえる、ミコワイ、クリスマス・イヴ、厳寒じいさん、という3回のチャンスを喜んでいた。ただ私は自分の「名の日」が12月18日なので、ひそかにがっかりしていた[訳註:ポーランドでは誕生日のほかに各人の「名の日」があり、プレゼントをもらう]。なぜかというと、名の日がいつもクリスマス・イヴとひとまとめにされ、プレゼント1つで2つの意味を兼ねることになったからだ。いまとなっては故両親に同情する。彼らにとって当時の12月はきっと相当な犠牲続きだったに違いない。だがそれはまた、私たち子どもと同じく楽しい時期でもあったのだ。

 
2004.12.27

芝田文乃・訳 ©2006



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